大字(だいじ;大写daxie)
漢数字の代用として「当て字」として使用される数字(記号)の一種です。
大字に用いられる字は定まっていて、元の漢数字とは「音が同じ」で「意味が異なる」
重複しない漢字を転用してます。
字の改竄(かいざん)を防ぐために専(もっぱ)ら戸籍や会計の分野で用いられ、私たちの世界では
一般的レベルでは、まず使いません
例えば「一」の字には、後から「h」を書き加えて「十」にするなどの改竄(かいざん)が可能です。
けれども、「壱」の字にはそうした偽造はやりにくいのは、皆さんもお分かりかとは思います。
また、複雑な字にして荘重な印象を与えるために、形式ばった文書で用いられることもあります。
<長所>
1: 斜めや逆さにみても、アラビア数字(記号)のように「6」を「9」に間違ったり、
「0(ゼロ)」と「O(オー)」を間違って読むことが少ない。
2: 先に述べたように勝手に数字を足したり、記号を加えて改ざんされにくい
(「1」を「10」にするなど)
<短所>
1: 漢字そのものの短所と同じで、アラビア数字と違い普遍性がない。
2: 漢字の短所と同じでたとえば、航空機の計器板など、めまぐるしく動く情報を読み取る必要が
ある場合に熟練していないと時間が掛かる。(視力も負担を掛ける)
3: 表意文字である以上、画数が増えて、ドット数が掛かるので、電子的にはハード・ソフト面
共に負担を掛ける。
(アラビア数字なら3×5ドットで済むのに、2バイトコードの漢数字だと十倍以上の情報が必要!)
では、なぜ亜細亜連邦が数字を漢数字、しかも大字で表記するようにしたのでしょうか?
・ 民族優位主義を抱える全体主義国家であるため、世界統一及びヨーロッパ連合(アラビア経由)の文化である
アラビア数字を使うわけにはいかなかった。
・ テロや、涜職(とくしょく)、汚職などテロなどの政情不安が続いている為、
文書を改ざんされることを恐れていた。
そのため、本来は必要ない兵器やモニターの表記に到るまで大字を使うことで、
「連邦」国家の統一を図ろうとした。
敢えて複雑な字体や漢字多様の文国語を制定したことは、占領した植民地(表向きは共栄圏)の臣民に
「公用語」である日本語(及び統一漢字)を普及させるのに、 大きな困難となったことは想像に難くありません。
また、エレクトロニクス分野、特にソフトやモニター表記にも大きな困難が発生し、このことが科学技術の偏りに
も影響を及ぼしていると考えられます。
数 | 漢数字 | 大字 |
---|---|---|
1 | 一 | 壱(壹) |
2 | 二 | 弐(貳) |
3 | 三 | 参(參) |
4 | 四 | 肆 |
5 | 五 | 伍 |
6 | 六 | 陸 |
7 | 七 | 漆 |
8 | 八 | 捌 |
9 | 九 | 玖 |
10 | 十 | 拾 |
20 | 二十 | 廿 |
30 | 三十 | 卅 |
100 | 百 | 佰 |
1000 |
千 | 阡 |
10000 |
万 | 萬 |
右は私たちの世界で1960年代に開発されたクレーンヘリコプター |
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シコルスキー「CH−54」スカイクレーン(軍用型) |
ブライが研究所まで乗り付けた飛行母船 |
火炎放射ロボットの稼働画面 |
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列車砲グスタフ/ドーラ 史上最大の陸上兵器、800o超重列車砲グスタフ、ドーラは1935年、陸軍兵器局の示唆によって、 難攻不落のフランス軍マジノ要塞攻略用としてクルップ社が考案。 この時、クルップ社では700mm、800o、1000mmの大口径砲を設計したが、 翌36年にヒトラーがクルップ社を訪問した際に設計が優れていた800o砲が選択された。 三門の製造が計画され、一番砲はクルップ会長の名をとってグスタフ、 二番砲は設計者ミューラー博士の妻の名をとりドーラと命名されたが、三番砲は完成しなかった。 この巨砲は4.8tの榴弾で射程47000m、7.1tの徹甲弾を使用すると射程は37000mであった。 発射速度は15分に一発であり、発射の反動は5軸10輪の台車8台で駐退復座装置とあわせて吸収した。 技術上の問題から、完成は遅れ、予定の1940年に間に合わず1941年に完成した。 当時史上最強と謳われたセバストーポリ要塞攻略作戦に超重攻城臼砲カール、ガンマとともに参加、 セバストーポリ北方16q地点のクリム半島南部のバフチサライの複線路上に据えられ、 要塞の7つの主要目標に向け5日間連続して48発の砲弾を撃ちこみ、スターリン要塞とモロトフ要塞へ8発ずつ 命中し、他に断崖下30mの「白壁」弾薬庫を爆砕した。
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ドイツ国境に布陣していたフランスの要塞等の粉砕を目的として製作されたもの。1937年6月に発注、1940年5月に走行試験が開始され、開発に関わったカール.ベッカー将軍の名前から『カール』型と名前が付けられた。全て60cm臼砲を搭載していたが、射程延長の必要から54cm口径砲身に交換可能なようになっていた。初陣は1941年のレンベルグで第628重砲兵大隊配備の1〜4号砲が参加、1942年には有名なセバストポリ攻略戦に80cm列車砲「グスタフ」と共に参加、その後はこれら1〜4号砲は第833重砲大隊に配備替えされている。他は5〜6号砲が1944年8月にワルシャワ戦に参加したのが知られているが航空優勢を失って以降は活躍が少ない。1940年11月〜1941年8月に6輛が生産され各2輛により1個中隊を形成していた。各砲に名称がつけられていて1号から順番にアダム、エバ、トール、オーディン、ロキ、ティウと命名されていた。 後期540mm型要目 口径長:11.5、最大射程:10500m、砲弾:Sbe重徹甲榴弾(重量1600kg)、装薬:57kg、発射速度:6〜8発/hour |